考察:忌み子の起源。神聖視から忌み子に変じたのはどの時代か?




本稿では、忌み子とはどうして生まれ、いつから忌み嫌われるようになったか?というテーマについて考察したい。

今では忌み嫌われる忌み子も、古くは神聖視されていた。

なぜその忌み子は生まれるようになったのか?

そしていつから忌み嫌われるようになったのか?

今回はそのことについて語ろうと思う。



忌み子とは?

まず簡単に忌み子について説明しよう。

忌み子とは、体中から角や尾が生えた人間である。

モーゴッドやモーグ、鍛冶師ヒューグなどがそうだ。


図1 鍛冶師ヒューグ


彼らは狭間の地では穢れとして扱われていて、忌み嫌われる存在だ。

ヒューグの姿を見ればわかるように、頭の角などは切られている。

忌み子は赤子の時にその角をすべて切られ、大半はそのまま死んでしまうという気分の悪い風習がある。

狭間の地では、忌み子とはその名前の通り、忌み嫌われる存在なのだ。


忌み子の起源

以前の稿、【還樹の謎、黄金樹の成立過程。原初の黄金樹が赤味を帯びていた理由とは?で私は以下のように語った。

まず大いなる意思によって黄金の流星が名も無き永遠の都に降り注ぎ、名も無き永遠の都は滅びた。祈祷:エルデの流星が深き根の底で拾えることからもそれは明らかだ。

そしてその滅びた永遠の都に住んでいた古き生命は、黄金樹によって吸い上げられ生命の坩堝となり、生命の坩堝を栄養として黄金樹は成長した。

だから原初の黄金樹は赤味を帯びた黄金色をしており、その赤味とは古き生命の血の赤である。

しかし古き生命の量は有限であり、恵みの雫が尽きぬ豊穣の時代はごく短く、黄金樹は信仰となっていった。

その信仰の代表的なものが還樹の儀式であり、黄金樹による祝福がかつて吸い上げた永遠の都の古き生命だけでは足りず、黄金樹のもたらした強い祝福をまた黄金樹に還さなければならなかったから生まれた信仰儀式である。


この考察が正しければ、初期の黄金樹から得られた豊穣、尽きぬ滴りである恵みの雫は生命の坩堝を黄金樹が変換したものだということになる。

つまり、狭間の地の祝福を受けた存在は生命の坩堝をその身に吸収していたことになる。

そのことは祈祷:坩堝の諸相・角からも読み取れる。

古い黄金樹の祈祷のひとつ

大角を肩に生じ、低い姿勢から突き上げる

タメ使用で突進する

それは、黄金樹の原初たる生命の力

坩堝の諸相のひとつである

かつて、生命は混じり合っていた


黄金樹の原初たる生命の力こそが生命の坩堝で、その諸相のひとつとして、獣の角や尾などがある。

原初の黄金樹から得られた尽きぬ滴り、恵の雫の源は生命の坩堝だったのだ。


……ではその生命の坩堝を吸収し続けた存在はどうなるだろうか?

生物濃縮という概念がある。

生物濃縮とは、ある種の物質が生態系での食物連鎖を経て生物体内に濃縮されてゆく現象のことを指す。

例えば海に毒素を流すと、その毒素が食物連鎖を経て貝のような生き物に濃縮していき、強い毒素を持つようになる、という現象だ。

これと同じことが原初の黄金樹を中心とした狭間の地の生態系でも起こったのではないだろうか?

原初の黄金樹を通して流れていった生命の坩堝は、やがて生態系の頂点である狭間の地の人々の中に滞留・濃縮していき、生命の坩堝を体に宿すようになった。

その結果、生命の坩堝の諸相、獣の諸相が体に発現し、角や尾が体に生えてきた。

それこそが忌み子。

そしてそれらが成長し種族となったものが混種たちなのではないだろうか?

それならばなぜ混種たちがマリカ像を崇めているかも理解できる。

彼らは、かつて原初の黄金樹があった自体の狭間の地の人々の成れの果てなのだ。

だから、彼らはマリカ像を崇め、黄金樹も崇めている。

彼らの母とも言っていい存在だから。


そしてだからこそ、文明の前には忌み子は神聖視されていた。

坩堝鱗のタリスマンには以下のようにある。

古い時代、人の身体に生じたという

諸相の混ざった鱗のタリスマン

致命の一撃のダメージを軽減する

それは、生命の原初たる坩堝の名残である

部分的な先祖返りであり、古くは神聖視されたが

文明の後には穢れとして扱われた


なぜ古くは神聖視されたのか?

それは獣の特徴とは神聖な原初の黄金樹の力、祝福が発現した姿だからだ。

これ以上に神聖な姿があるだろうか?


そしてそう考えるとなぜ現代の黄金樹は赤味がかっていないのかもわかる。

人体に生命の坩堝が吸収され、その赤味が人の体に移ったからだ。

だから赤味が抜け、今の黄金樹になったのだろうと思う。


忌み子はいつから忌み嫌われるようになったか?

しかし、文明の後には生命の坩堝は穢れとして扱われた。
ではここでいう文明とは、いつのことだろうか?
私はこれを、黄金律原理主義への移行からだと考えている。

小黄金樹教会には以下のようなマリカの言霊が残っている。

黄金律の探求を、ここに宣言する
あるべき正しさを知ることが、我らの信仰を、祝福を強くする
幸せな幼き日々、盲信の時代は終わる
同志よ、何の躊躇が必要だろうか!


幸せな幼き日々、盲信の時代が終わり、黄金律原理主義が来る。

過去(Network Test)の祈祷:死を正す聖律には以下のように書かれている。

黄金原理主義者たちの祈祷

黄金の輪を生じ、聖ダメージを与え

倒した場合は、それらが復活することはない。

ここで原理主義とは、律を扱う学問であり

理力こそを聖性の源とする。


黄金律原理主義とは、黄金律を扱う学問である。

そして理力こそを聖性の源とする。

そして文明とは、人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態のことを指す。

学問という人知をもって、黄金律を探求する時代。

こここそが、文明の始まりであり、生命の坩堝が穢れと扱われるようになった始まりではないだろうか?

つまり、私が編纂した狭間の地の歴史年表の区分における、【ゴッドフレイの追放】時代の、ゴッドフレイが追放されたのち、マリカ=ラダゴンが黄金律原理主義を宣言した時。

ここから、生命の坩堝を体に発現させた存在は穢れとして扱われるようになったのだと思われる。


こう考えられる根拠はほかにもある。

一つはゴッドフレイが坩堝の騎士を率いていて戦っていたことだ。

坩堝の騎士は名前の通り、生命の坩堝の力を祈祷として使う存在で、生命の坩堝の象徴のような存在だ。

その彼らが活躍していた時代に同じく生命の坩堝の諸相を発現した忌み子を穢れと扱うだろうか?

私にはそうは思えない。


また、第一マリカ教会には以下の言霊が残っている。

戦士たちよ。我が王、ゴッドフレイよ

導きに従い、よくここまで戦ってくれた

あの頂に、巨人たちを打ち滅ぼし、火を封じよう

そして、はじめようじゃないか。輝ける生命の時代を

エルデンリングを掲げ、我ら黄金樹の時代を!


輝ける生命とは何か?

黄金樹に関連する、輝ける生命。

私はこれを生命の坩堝だと考える。

黄金樹に関連してほかに有力な生命に関する記述は見当たらないし、時期的にも坩堝の騎士がゴッドフレイに率いられたこの時代は原初の黄金樹の時代だと思われるからだ

マリカもゴッドフレイも生命の坩堝を掲げ、未だ黄金樹が赤味を帯びていた原初の黄金樹の時代。

この時代に生命の坩堝の諸相を持つ存在を忌み子と扱っていたとは思い難い。


また、ある褪せ人から、道具:王家の忌み水子と矛盾しているのではないか? という指摘を頂いた。

黄金樹の王家に

呪われて生まれた赤子の像

FPを消費して、追いすがる多くの呪霊を放つ

王家の忌み赤子は、角を切られることはない

その替り、誰にも知られず、地下に捨てられ

永遠に幽閉される

そしてひっそりと、供養の像が作られる


モーグとモーゴットが忌み水子として地下に捨てられていたのなら、時代的にゴッドフレイの追放の時代にはすでに忌み子は穢れとして扱われていたのではないか? という指摘だ。 

鋭い指摘だと思う。

ただこれは決定的な矛盾にはならない。

なぜなら、王都の地下には他にも棄てられた忌み子はたくさんいるからだ。

彼らの顔が下の図2だ。

角が切られていないことがわかるだろうか?

図2 王都地下の忌み子の顔

つまり、彼らが王家の忌み子なのだ。

よって、黄金律原理主義への移行の後、それ以後の忌み子は穢れとして扱われ、地下に捨てられたでも矛盾はない。

むしろ、そちらのほうが整合性が取れる。

もし彼らと同じようにモーゴットとモーグが生まれてすぐ地下に捨てられたのなら、どうやって彼らはあそこまでの知性を得たのだろうか?

そしてどうやって黄金樹の祈祷を学んだのか?

私は、生まれてからいくらかの時間は普通に王家の子供として育てられたが、黄金律原理主義への移行と共に地下に幽閉されたのではないか、と思っている。

そうすれば彼らの知性や祈祷をどこで得たのかの説明がつくからだ。


もっとモーゴットについて語りたいが、この詳細は次稿、【考察:最後の王。モーゴットの生涯】で語ることにする。

というより実はこの稿はモーゴットの生涯を考察するための前提として書かれた稿だったりもする。



まとめ

まとめよう。
  • 忌み子は狭間の地で穢れとして忌み嫌われている
  • 忌み子は原初の黄金樹の力の源である生命の坩堝の要素を強く発現させた存在であり、それが獣の形であるのは生命の坩堝は諸相に獣の姿を持っているからだ
  • 忌み子は古くは神聖視されていたが、文明の後は忌み嫌われるようになった
  • この文明とは黄金律原理主義の時代であり、マリカ=ラダゴンの黄金律原理主義への移行によって、忌み子は穢れとして扱われる存在になった

忌み子は穢れた存在だ。少なくとも今ではそう扱われている。
しかし古くはそうではなかった。
ではなぜ、黄金律原理主義によって忌み子は穢れとして扱われるようになったのか?
何が穢れなのか?
そのことについてはまた別の稿で考察するとして、今回はここで筆を置くことにしよう。






コメント

  1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  2. 王家の忌み水子のテキストと矛盾してませんか?

    王家の忌み赤子は、角を切られることはない
    その替り、誰にも知られず、地下に捨てられ
    永遠に幽閉される

    上記のテキストから読み取れる通り、
    モーゴット・モーグの双子は生まれたときから忌み子であることを理由に冷遇されています。
    また王家以外の忌み子は生まれたときに角を切られていたとも読み取れます。
    忌み双子はマリカ・ゴッドフレイの息子であり、
    生まれた時代がご自身の年表にもある通りゴッドフレイの征服期なのは間違いないと思います。
    ということは征服期ですでに狭間の地では忌み子は穢れとされていたはずです。

    だとすればゴッドフレイが追放されラダゴンが黄金律原理主義を掲げた時代から忌み子が穢れとされた、のではかなり矛盾が生じるのではないでしょうか。

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    1. 感想ありがとうございます。
      あー、そのテキスト、完全に見逃してましたね……
      ただ、そのテキストの対象がモーゴットとモーグか、というと怪しいと思っています。
      なぜなら王都地下に忌み子はたくさんいるからです。
      今確認したので断言できますが、彼らは角を切られていません。
      つまり、彼らも王家の忌み赤子です。
      なので、王家の忌み赤子のテキストから最初の産まれたと思われるモーグとモーゴットもその対象であったとは判断できません。なので矛盾しているとは言い切れません。
      それを踏まえて考えると、坩堝の騎士を率いて戦ったゴッドフレイのいる時期に生命の坩堝が穢れと扱われていたとは思い難いため、その時期はまだ坩堝は穢れではなかったと思っています。
      まだこのころは赤味を帯びていた原初の黄金樹だったでしょうし。

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    2. 指摘の事項や、少し弱かった穢れと扱われた時期についての考察を追記しました。
      何か問題があれば言ってください。

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  3. 返信の上、加筆までしていただきありがとうございます。
    王家の忌み赤子がモーゴッドの追憶から手に入るので、
    モーゴッドが供養の像を持っている=生まれたころから忌み子とされた、との解釈でした。
    忌み双王子(前のコメントで忌み双子と表しましたが、そういえばこの名の別のボスがいましたね)の歴史におけるテキストがローデイル防衛戦までほぼないので、
    考察が難しいですよね。次稿も楽しみにしています

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  4. 面白い考察でとても面白く読ませていただいてます
    忌み子の部分だけ気になったのですが忌み子達は基本火の力を持ってる為に忌み子と呼ばれたのでは無いでしょうか?
    部分的な先祖返りが後に穢れと呼ばれた、とありますが昆種の亜人は忌み者とは表現されず穢れ者と呼ばれます(モーン砦のエドガーの台詞より)
    そして火に関する祈祷や調香師の火香等では軒並み「禁忌」と書かれているのです

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    1. いつも読んでいただきありがとうございます。
      その可能性もありますが、忌み子が火を使うことは基本ないので、可能性は低いかなと思います。
      火の禁忌とは黄金樹を燃やし尽くせる巨人の炎のことですから

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    2. 返信ありがとうございます
      忌み子が火を使わないとの事ですが、忌み子は火炎ブレス?のような攻撃やモーゴッドは中盤、吐血から血溜まりが発火します(その後呪いで穢すとは…と台詞があります)モーグもテキストから血が燃えるともあります
      謎なのは糞喰いの武器の戦技なんですが、あれも発火するのですよね…そして死のルーンも発火するので何かしら関係ありそうなのですよね…

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    3. たしかに黒炎もそうだし炎の派生が多いですね。
      黄金樹を倒すためにみんな火の巨人を真似たりしたんでしょうか。

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    4. 考えてみれば、巨人、神狩り、古龍と火の脅威にさらされてますね、そこ辺も関係あるのかもしれないですね
      坩堝の諸相、喉袋には禁忌的なテキストないので最初記はそこまで無かったのかもしれません

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